殴りつけるような横風、高波が容赦なく船を弄び、横殴りの雨が激しく船体に打ち付ける。


冬の嵐の熊野灘である。


季節はずれの爆弾低気圧が室戸岬沖の太平洋上で荒れ狂っているのだった。
10mを超える海のうねりは、もはや小さな海水の山であり、
平安末期の木造沿岸輸送船には、横波を喰らって転覆するのを避けるため
左舷と右舷に注意を凝らす以外、何の為す術も無かった。
海水と言わず雨水と言わず全身ずぶ濡れだが、誰も寒いという感覚すら最早忘れていた。


  「か、頭ぁ! 船底に浸水! こりゃぁ、まずいっすよ!」


  「右に回り込め! あの高波、まともに横から喰らったらひとたまりも無ぇぞ!」


  「頭ぁぁ! 舵が! 舵が利きません!」


  「馬鹿野郎! 死ぬ気で踏ん張りやがれ! 死にたく無ぇ奴ぁ右舷だ! 漕げ!」


うねりが船底からグゥッと船全体を持ち上げ、
あっという間に海水で出来た小高い山の頂に十数名の乗った船を押し上げる。
と思うと、奈落の底に落ちるような降下感。
そしてギシッと嫌な音を立てて船体が軋みをあげ、船首と船尾が違う方向を向いている。


  「落ちる落ちる落ちる!」


  「振り落とされるな! 船にしがみついてろよ!!」


  「頭!」


  「今度は何だ!」


  「あれ! あの光は!」


  「光だぁ!?」


顔にぶつけられる雨水と海水にまともに目を開けられないが、
それでも部下が指し示した方角をやっとの事で見詰めると
波と雨の飛沫の遙か彼方に、それも微かだが、明らかに人工の光が見え隠れする。


  「! あの色は……!」


頭と呼ばれた男は懐から鹿皮を取りだして、
濡れるのもかまわずに、彼方の儚い光と手元の鹿皮を、これ以上ない程に眼を見開いて見比べ
「間違い無ぇ」と呟くと、船中に聞こえるように叫んだ。


  「野郎ども! あの光は熊野だ! 太地の燈明崎だ!」


大海原の孤児となり、木の葉のように翻弄されたあげく
船が沈むか、自分が荒れ狂う海に投げ出されるか、遅かれ早かれ2つに1つ
そう思っていた乗組員にとって、
それがどんなに小さくとも、生きる希望と保証を手に入れた歓びは言葉にはならない。
血走った目で生き残るために、櫂と言わず桶と言わず、漕げる物全てで懸命に漕いだ。


  「あの光は、熊野の連中が先々月に造った『灯台』とかいう常夜灯だ」


  「太地だってぇ! 何てこった! 紀伊水道を淡路に向かってたはずなのによおぉ!」


  「思いっきり潮と風に流されちまったなぁ!」


  「とにかく、あの光に向かって漕ぐんだよ! あそこには港がある! 生きて帰るんだぞ!」


  「うぉぉ!」


歓喜と興奮から、男達の漕ぐ力がいっそう強くなった。


生きて帰る


その思いだけで












 

帰っちゃうの? ヒノエくんルート・3月−如月 1













   さて、思いの外、金はかかったけれど、入学手続きも滞りなく完了したし、
   入学式まではまだ1ヶ月程あるからね。
   この『春休み』の間に、マンションの荷ほどきもしないとならないからね。
   敦盛とも出かけたいし。
   そう考えると、今が一番いいタイミング、かな


辺りを確認し、バッグの中から逆鱗を取り出す。


   さてと、白龍。
   分かってるとは思うけど、くれぐれも、よろしく。


逆鱗を掲げる。
辺りが白濁し、もはや見慣れた時空の激流。






跳躍






   バシャ!


風呂桶の水をそのままぶっかけられたかと思うような水圧を感じ、慌ててヒノエは身構える。


   油断した


つもりは無かったが、こう予期せぬ事態に遭遇すると、そう思わないわけにはいかなかった。


   それにしてもこれは?


   波!?
   いや違うな
   ……これは、雨!?
   いったいどうして??


跳躍が終わったと思った途端に、顔といわず体といわず、一瞬でずぶ濡れになったヒノエは
瞬間的に「波を被った」と思った程だったのだ。


   前回跳んで来た時は、和議直後の神泉苑だったし
   望美の世界あっちに行った時も、
   神子姫が源平の世こっちに来た直後の時間と場所に戻ったって話だったから
   時間は進まないって思っていたのにね。


   ここは確かに三段壁なんだけど……


   ああ、そうか。
   神子姫の二度目の時空跳躍は、
   燃えさかる櫛笥小路屋敷から、時を遡った夏の熊野って話だったね。


   じゃあ、ここはいつの三段壁なんだ?


油断無く身構え、辺りの様子を窺うが
余りに風雨が激しくて、今が昼なのか夜なのかすら定かでない。
ヒノエは唇に指を当て、思い切り指笛を発した。


  「この雨風だから、聞こえたかどうかは怪しいものだね。
   さて、と。ブラット、引っ越してないだろうね」


そう言いながらずぶ濡れのヒノエは、
ブラッド・トールが暮らしていたはずの小屋へと向かったのだった。










  「本当ニ驚イタヨ。コンナニズブ濡レデ君ガ訪ネテ来ルナンテ」


  「アア、おれ自身モ驚イタヨ。コッチガコンナ暴風雨ニナッテルナンテ」


  「確カニ『マタ、ココニ来テ話ヲシマショウ』トハ約束シマシタ」


  「ダロウ」


  「デモ『無理モ無茶モシナイデ』トイウ条件付キダッタハズデス。
   コンナ暴風雨ノ、シカモ夜更ケニ、雨具モ持タズニ来ルノハ、
   無理アンド無茶デハナイノデスカ?」


  「サプライズ、ダッタンジャン」


  「サプライズ……、イヤ、アンビリーバボゥ、デスネ。
   サァ、コレニ着換エルトイイデショウ」


  「スマナイ……。ヘェ、コレハ」


  「イェス。はなサンの手作リデス」


  「イイノカイ? ソレヲおれガ勝手ニ着テシマッタリシテ」


  「『私は熊野別当の下で働いています』」


  「ソレガ?」


  「非常ニ助カッテイマス、コノ一言ニ」


  「ナラ、良カッタジャン。アナガチ嘘ッテワケデモ無イシ。
   トコロデ、ブラット」


  「何デショウ?」


  「今日ハ何月何日ナンダイ?」


  「アア、スマナイガ僕ハコノ国ノ月日の数エ方ヲ、マダ知ラナインダ」


  「ジャァ、コウ聞キ直ソウ。おれガコノ前、ココヲ出テカラ何日ガ経ッテイル?」


  「ソウダネ……。4、5、6……、ソウ、今日デチョウド7日目ダネ」


  「7日……。そう……。ということは、如月の二十日過ぎ…か。」


ヒノエは考え込んだ。
何故、自分の居ない間に7日も時間が進んだのか。
もう一度、神子姫の二度目の時空跳躍のことを考えた。


   時空跳躍こいつは一定の規則性に則って互いの時空を往き来するのではなくて、
   時も場所もランダムなのだろうか?


   だとすると、やっかいだな。
   ヘタをすると望みの時空に辿り着けず、何十年も時空を彷徨うことになりかねない。
   しかし、だったら前回のオレの跳躍は?
   前回の事があったから、
   別時空に移行中はもう一つの時空の時間は停止したままだと確信していたんだけど。


   まずいな。だったら八葉が平成の世でのんびりしてるのも、まずいんじゃない?


   だけど、だったらナンで三段壁なんだ?


  「ひのえ? ドウシマシタカ?」


  「ア、イヤ、凄イ風ダト思ッテネ」


  「ソウデス。今日ノ午後カラ急ニコノ天気ニナリマシタ」


  「漁ニ出タ船ガ全部、無事ニ港ニ戻ッテルト良インダケドネ」


  「それは大丈夫です」


そう言って小屋に入ってきたのは、碧眼の副頭領だった。


  「どなたさまですか?」


ブラットが片言ながら日本語で尋ねた。


  「オレは」


  「おれノ知リ合イダヨ。おれヲ探シニ来テクレタノサ」


  「そうですか。それはおつかれさまです。どうぞ、おあがりくださいな」


  「ブラット、ケッコウ日本語巧イジャン」


  「どういたまして。いま、お茶、いれましょうね」


そう言って、ブラットは立ち上がって土間に降りていった。


   ああ、はなちゃんの言葉を覚えてるんだ


そう思うと、少し頬が和らぐヒノエであった。


  「やあ、よくここだって分かったね」


  「合図が聞こえたと烏から連絡がありましたもので、たぶんここではないかと」


  「この風雨の中で? ヒュー、そいつは優秀だ、ボーナスをはずまないといけないね」


  「『ぼーなす』?」


  「『ボーナス』のいみは、OH……コノ国ノ言葉ダト…『ごほうび』…カナ」


湯飲みを差し出しながら、ブラットが言った。


  「『褒美』ですか。そいつは喜ぶでしょうな」


副頭領はブラットから湯飲みを受け取ると、フゥっと一息吹きかけてから、一口飲んだ。
ヒノエはブラットの差し出した服に着替え、濡れた服を乾かしながら、副頭領に話しかけた。


  「で? オレの居なかった7日間の報告を」


  「は」


そう言って、副頭領はブラットの方を一瞥した。


  「いいよ。ブラットがいても」


  「僕、ネイティブノスピードデ話ス日本語、サッパリ分カラナイヨ」


  「と本人も言ってるから、大丈夫。さ」


  「は? はぁ…、では」


  「まず、ひとつ質問だ。今入ってくるなり、お前が船は全部大丈夫と言ったね。その理由は?」


  「実は今朝方、湛快様が
     『古傷が痛む。この傷み方は尋常じゃ無ぇから、一艘たりとも今日は船を出しちゃならねぇ』
   そう仰って」


  「アハハハ。親父の古傷もたまには役に立つんだ。
   前線が通過すると古傷が痛むっていうらしいからね。
   みんな、理屈も分からず、困ったんじゃん」


  「へえ、あまりに突然なんで、反対する者も多かったのですが」


  「『が』?」


  「凄い剣幕で『前の頭領の言うことが聞けねぇのか』って。
   で、大慌てで全ての港に通達を出して。
   出航していた船も狼煙で港にもどしました。
   で、猟師達が集まってブーブー言い出したところで、この天候でさぁ」


  「へぇ、良かったじゃん。前頭領は伊達じゃ無いってとこだね。
   他には?」


  「実は、妙な病が流行り始めてまして」


  「病?」


  「風邪に似た症状なんですが、風邪より咳も熱も何もかもキツく出るんでさぁ」


  「キツく……」


  「京からの烏の知らせでは、いんふるなんとかとか、
   ぺん、いや確か、ぱんだみ?とかっていう流行病だっていうことで」


  「え? もう一度、言ってごらん」


  「『い、いんふれんざ』と『ぱんだみく』かな、正確な所はどうも……」


  「誰が、そう言ってるんだい?」


  「確か、典薬寮の人間だそうで」


  「典薬寮ねぇ」


ここでヒノエはある確信を得るに至った。


   ! ああ、そうか……
   逆鱗は1つじゃなかったね。
   で、リズ先生そっちの逆鱗を使って源平の世こっちに来たんだ……


   オレとしたことが、迂闊だったね。
   これで、こっちの時間が動いていたことの説明がつく


   ……けど、…まずいね
   弁慶おっさんとオレが好き勝手に源平の世こっちに来ると、お互いに計算が狂うし
   場合によっちゃぁ、オレの計画も、たぶん弁慶おっさんの計画も、台無しなんじゃないのかな。


   何らかの目的で弁慶おっさんがこっちの世界に来て
   (まあ、五条の施薬所が気になったんだろうけど)
   で、偶然インフルエンザの流行に遭遇したんだろうな。
   そして、何らかの縁故で
   (どうせ法住寺を脅したか誑かしたかしたんだろうけど)
   典薬寮を動かして、応急措置でも指示してから
   慌てて神子姫の世界むこうに戻ったんだろうな。
   で、神子姫の世界むこうでインフルエンザの蔓延を阻止する術をお勉強中ってところかな。


   だから、今月は弁慶に会わずに済んだきもちよくすごせたんだな。


何にしても、ヒノエは弁慶が源平の世こっちから1週間で戻ってくれたということに心底ホッとした。


   こいつは、今回は早めに戻って、弁慶おっさんと話をつけておかないとならないようだね
   やれやれ、面倒なことになったもんだ


そう言いながら、早くこの暴風雨が上がらないかとも気をもむヒノエであった。











                                     この話は「帰っちゃうの?シリーズ・弁慶さんルート」と関連していますので
                                     話が分からなかった方はこちらも御覧下さい。









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